2012年03月15日

きららとまいが待ってます

ZagaDaの南海フェリーキャンペーン、参加する方向にあるようで、ちょっとほっとしています。

なので今日は南海フェリーのことを書いてみようと思います。



南海電鉄が和歌山-四国航路を開設したのは1956年にさかのぼります。

当時、天保山-小松島航路が夜行で7時間かかっていた時代。

和歌山港再築とそれに伴う臨港鉄道建設。新造した快速船を和歌山港で電車に横付けすれば、なんば-小松島が4時間で結ばれる。

みさき公園の開園と並んで南海電鉄70周年記念事業として開設されたのが四国航路でした。

この航路が大ヒット。船を2隻、3隻と増やして、関西-四国間の一大交通路を形成しました。

和歌山港だけでなく、四国側、小松島港にも国鉄の列車が横付け。高知へ松山へと直通列車が運転されていました。

宇高、青函の連絡船は有名ですが、南海の四国航路も立派な鉄道連絡船だったと言えるでしょう。



しかし、時代は進み、1988年、瀬戸大橋開通により、本州と四国は陸続きになります。

そして、この航路が大打撃を受けた出来事、それは1998年の明石海峡大橋開通です。

その間、船も単なる旅客船から車も載せられるカーフェリーに、船舶数3隻、2時間おきの12便体制にまで成長していた南海フェリーでしたが、関西-四国の移動は高速バスにとってかわられました。

値段の安さと乗り換えなしの利便性が高速バスに軍配があがった理由でしょう。

南海フェリーも四国側の発着港を小松島港から徳島港に変え、りんくうタウン-徳島間のりんくうフェリーを開設するなど、フェリーの良さをアピールしましたが、乗客は右肩下がり。

現在、フェリー2隻、深夜便休航の3時間ごと8便体制でがんばっています。

和歌山県としても来たるべく南海地震の際に備えて、物資輸送の船便を残しておきたいと乗用車航送料1,000円キャンペーンなどして応援しています。

そして、活性化の起爆剤となるべく(笑)起用されたのが萌えキャラのきららとまいでした。

きららとまいが待ってます

高野きらら と 阿波野まい

高2の彼女らは2人とも和歌山生まれ。

小学校の時にまいが徳島へ転校してからも連絡を取り合う仲良しです。

フェリーの中いたるところで南海フェリーのPRをしています。

登場時はセーラー服でしたが、いまは夏服になって涼しそうな姿でお出迎え。

そんなきららとまい、そして18日(日)は彼女らに勝るとも劣らないZagaDaのメンバーに会いに南海フェリーに乗りに来てね。

詳細はこちら
http://www.wakayama-kanko.or.jp/news/2012/pdf/0313.pdf



ところで、南海フェリーは乗ったことある人でも、ブリッジ(操舵室)に入ったことあるのはゆうかさんくらいです^^)

え、初日の出遥拝イベントに参加した人ならみんな入ってる?

失礼しましたー(笑)


Posted by みまさか ゆうか at 21:31│Comments(0)
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